なんのために不安があるのか

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もうとくかく、不安で、怖くて、ソワソワして、何も手がつかない時がある。

そんな時は、部屋の隅で膝をかかえてうずくまってしまう。

始めに不安だったことが何なのか思い出せないくらい、

連鎖した不安が押し寄せてきてでっかい塊の団子になって、

その団子がローラーになって、わたしを蹂躙してんじゃないか。

誇張じゃなくて、そのくらい壮大な被害妄想を抱えるくらい不安でつぶれそうなときがある。

なんで、こんなにわけのわからんヤツに恐れをなさないといけないのか。

このわけのわからないヤツの正体は何なのか。

その不安の真っ只中にいる時は、何も見えないから答えはわからない。

だけど、波が去って、心が凪いで静かになった時、

なんとなく見えるものがある。

不安とは、、

わからないから怖い。

見えないから、恐ろしいんだ。

じゃあ、その核にあるのはなんなのか、

不安の正体を知るために、

自分から不安の核の首根っこを掴みに行けばいいって話。

何を不安に思ってるの?

明日の仕事の何が不安なの?

今までのように失敗することが不安なのかぁ。じゃあ、今までは何で失敗したと思ってるの?

強く言われると緊張して手元が狂ったり、きちんと言葉で返せないことがあったのかぁ。

それは、強く言ってくる相手もひどい。相手が悪かったと思うしかない。

でも、その人とはもう一緒に仕事をするわけではないから、怖がる必要はない。

しかも、明日は初めての職場。

みんな初めて会う人だから、初めから『怖い人かもしれない』と身構えて行く必要もないし、むしろ初めてなんだから何でも質問して当たり前だ。

こんなふうに、自問自答して、雪だるま式に膨れ上がった不安の核を見つける。

そうすると、「なんかどうも、余計なことまでひっくるめて心配して、カラの不安に陥ってしまってたかも、、」

と気づく。

すると、なんてアホらしい時間を過ごしてたんだって思える。

そして、自分で何とか対処できることと、自分ではどうにもできなくて考えるだけムダなことの境界線がハッキリしてくる。

ココの線引きができると、ムダな体力や精神力をすり減らすことがなくなる。

今日、散歩から帰って清々しい気分で過ごしていたら、こんなふうに自分で自分の気持ちが整理できた。

これは、自己啓発本などに、山ほど書いてあるメソッドなんだけど、心がどん底の時にはこんなふうに考えを辿ることさえ難しい。

でも、忘れちゃダメなんだ。

不安は自分でやっつけることができる。

こうして、自分で考えて問題を乗り越えて行くと自分がステップアップできる。

だから、不安は自分のステップアップには欠かせないことなんだ。

明日は今日より、半歩だけ前に進もう!

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