わたしが進化したら宇宙も進化する
わたしは自分の中に宇宙があると常々考えています。
わたしはスピリチュアルに傾倒しているわけではないけど、
考え方は好きで努力の源になっている部分もあります。
最近ちょっと考えたことがあるので、今日はそのことを書きます。
神に祈る、仏に祈る、どちらも長年 月に1回は行ってきました。
わたしの氏神様は戦の神。わたしの住むこの地で明暗をわけた源平の御霊が祀られています。
わたしの戦いとはなにか。
わたしは何と戦っているのか。
誰と比べ、上の存在でいたいのか。
(仕事をやめ、1年近く再就職先を探さずに夢を追いかけたり、好きな分野の勉強をしたり、結婚して家庭を作ることが夢だったのに年末には彼氏と別れたりしました。)
あぁ、なんだ。そうだったのか。
自分が思っている、今の自分自身に勝ちたいんだ。
一人のわたし。さみしいわたし。情けないわたし。無職でみじめなわたし。
仏様にこころを開示するときも考えます。わたしのお寺のご本尊さまは釈迦牟尼仏・お釈迦様です。
お釈迦様の像を下から見上げた時、わたしはなにを思ってよいのか。
迷い苦しくなります。
はぁ、、と息を吐き出し、なりたい自分、手に入れたい未来、ここに気持ちを置いていていいのか。
頑張る気持ちを持ち、行動を続けていてよいのか。
あなた様に会えたことだけで満足しないといけないのではないのか。
どんな表情にも取れるからです、お釈迦様の表情が。
怒っているようにも、悲しんでいるようにも、少し笑顔を向けてくださっているようにも。自分のこころ次第で、どうとでも見て取れる。毎度違うお顔を向けてくださる。
あぁ、ここにもわたしがいるんだ。だから、わたしのこころの天気模様が映し出されるんだ。
こころを見に行くんだ、といつのころからか思うようになりました。
お経には、宇宙の真理・理が記されているとされていますよね。
毎日趣味の写経を続ける中で、心の静かな時間を持つことができ、字の意味を、言葉の意味を、文章の意味を考えます。
「空」
何もない。だからすべて。
これこそが唯一の真実であり、信じてよいただ一つのこと。
全てを内包する「空」には、変化も進化もすべてが含まれている。
変化するから、色や形がありそれを認識できる。
全てが関わりあいながら(らせん階段)変化し、他を共鳴させ、共感させ、つながりを認識しあい、そして強烈な縁故となっていくのだと思います。
実態はないのだから、嘆き悲しむ必要すらない。
わたしの人生は間違っていなかったのだ。
あの時こうしていたら・・・選択を間違ったのではないかと、夜中に一人で苦しむこと、
それですら「空」に内包されている。
がんばるわたし、がんばった結果のわたし、がんばらない私、がんばらなかった結果のわたし、すべて一つ。
ただ一つ言えることは、今のわたしは、がんばらないわたしを選択しないこと。
がんばることができない日はきっとある。
でも、なにかはする。
今はがんばらない1日を過ごすことが怖い。
今、少しでも休んでいると、無辺大の大きなスクリューが回転する推進力の中に、武器を持たずに一人放り込まれている気分になる。
だから、泣いてでもする。
しんどくて、吐きそうでもする。
眩暈がしてもする。
きいて!今日はこんなことができたんだよ!
そうやって過ごしている自分しか見えない、興味がない。
こうやって、たとえば3年間が経過したら、もしかしたら夢がすべて叶っているかもしれない。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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