昨日は予定がありました。
『藤城清治さんの絵を見に行く。』
藤城清治さんは、100歳の画家。
みんなが必ず見たことある陰絵作家。
他にも人形劇とかいろんなことをされているけど、
わたしは子供の頃にNHKの『みんなのうた』で見た、目の大きなこびとや猫の絵が心に残っています。
藤城清治さんという人をきちんと意識して絵を見たのは1ヶ月前。
友達が藤城清治さんの名前をチャットであげたからです。
恥ずかしながら、存じ上げなくてすぐ調べました。
『あっ知ってる‼️』
すぐ思い出しました。
小さな頃から知っていた絵でした。
当時は、目が強調された人物の強いエネルギーに、不気味さを感じるほどで、凝視できないような強いパワーを感じたように思います。
大人になってからその絵を久しぶりに見た時、多彩な色とユーモアの溢れるタッチに荒んだ心がほぐれるような気がしました。
わたしの温度が少しずつ温かみを取り戻していくのもわかりました。
素敵だ
目に焼きつくようでした。
細かな枝葉に染み込むような夕日の橙色。
こんな表現の仕方があるんだな。
会場はとても広く、すごい数の展示でした。
御年100歳。さすがに創作年月が長いだけある。
10数メートルもあるような大きな作品や、MISIAさんとのやりとりまで。
大満足でお腹がいっぱい。
さらには、こちらの地元の風景作品なども多数あって、懐かしさも心にふぁ〜っと広がっていきました。
同時に、エモーショナルな気持ちや、焦燥感に駆られたり。
ふと心によぎった。
わたしは、言葉を紡いで、誰かを救いたいと思っているのに、
自分で決めたノルマをこなすのに精一杯で、タスクのように文章を書いていないかな。
日記のようになって、自己満で完結して、誰かを思った、寄り添った文章になっていない。
言葉で人を支えるのがわたしの使命だと思ったのに。
今、わたしは心から自分の命を使おうとしているだろうか?
答えはNO
わたしは、精一杯の今を生きてはいない。
自分の命を使って、成し遂げることが全くできていない。
藤城清治さんの命が迸るような作品を前にして、目眩がしそうになる。
圧倒的な生の活力に、わたしの死人の心が悲鳴をあげているんだ。
ゴミのような文章を書いている暇はない。
わたしはもう40歳にもなってしまった。
心を込めて命を使って、自分の表現をしなければ。
今から、この一瞬からでも、人生を変えることはできる。
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