大切にしたい思いはなにか

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看護師を辞めて1年が経とうとしている。

看護師はいい仕事だ。

でも、嫌な仕事だ。

わたしは、後者が勝ち、誰にも相談することなく職を辞した。

今でも看護師という仕事が嫌いだ。

戻りたくはない。

その時、その時は、楽しいこともあり、まわりよりもストレスを感じているわけではなかったと思う。

失業保険もそろそろ切れる。

働かないといけないとジリジリと焦りが出てくる。

なんでこんなに嫌なのか?

この1年間で、心を動かされることはあった。

障害者アートと出会い、色彩の豊かさにひっくり返るかと思うほど驚き、言葉がうまく出てこない彼らの表現の方法の多さに感動し涙が出た。

これかもしれない。

この世界でわたしは自分の文章で彼らを紹介し広める活動がしたいのかもしれない。

いつかは、障害者アートというコンセプトでギャラリーを開きたい。

こんな世界があるって、知ってもらえたら、

ここに光を見出せる人々がいるかもしれない。

障害を抱えた人々やその家族に。

わたしが、光を見せてあげたい。

わたしが、光の当たっている場所を教えてあげたい。

わたしが、光の当たっている場所まで一緒に行ってあげたい。

こんな夢を持った自分にもびっくりしたけど、

うれしかった。すきなことがみつかった自分が誇らしかった。

自分の足で歩き回って、いろんなつながりや伝手をつくって、助言をたくさんいただいた。

福祉施設で働く人々や、アート界隈にいる人々。

応援の言葉以上にみんなが、口をそろえて言うのは、

「お金」

の問題。

特に親身になって相談に乗ってくれている前職が看護師という方がいる。

「看護師から福祉関係への転職で一番悩むのは、(お給料が)上の世界を知っているから」

収入の柱をもう1.2本つくれば何とかなるんじゃないかと計算してみるけれど、

訪ね歩いた先でのお給料は、月の支払いの半分もできやしない。

いくらなんでもこりゃないでしょ、といいたくなる。

そうなると、わたしの夢も本気だったの?と自問自答してしまう。

やっぱり何にもないわたし。

感動でさえ、薄らいでしまった。

あんなに涙が出たのに。

うれしいことも、かなしいことも、

その一瞬で爆発してしまって、

あとは気持ちに蓋をしてしまうの。

看護師を嫌になった気持ちもたぶんそう。

小さな嫌なことのつみ重ねが、

もう嫌で嫌で面倒で。

これを言葉にするのすら、その事実を見つめる必要があるために、

面倒、辛い、苦しい、もう嫌・・・

こうやって、押さえてきたんだよね、わたし。

でも、今は次のステージに進むとき。

今までは、嫌だと思っていた方、面倒な方に、飛び込む時がきたのかと感じている。

アートを今すぐに仕事にするのは、無理だ。

それは十分にわかった。

ただ、それを実現するまでの身銭をどう稼ぐか。

この方法として、看護師に戻るか否か。

ゴールが決まっているんだから、そこまでのロードマップはいくつあってもいいはずだ。

考えろ、わたし。

なにかは犠牲にしなければいけない。大切にしたい気持ちを守るために。

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