こんばんは。
今日は、わたしの友人の一人であり、わたしにとって女神のような女性の話をしようと思う。
彼女は長身、スレンダーでとても立ち姿の美しい女性。
いつも、そっと寄り添ってくれるような優しい言葉をかけてくれる。
ものすごくリーダーシップがある。
この細い体のどこにそんな力があるのか全くわからないというほど、活力にあふれている。
みんなが、彼女の言葉ならすっと受け入れられる。
彼女の言葉から力をもらい、自分の力を惜しみなく発揮したいと思わせるような、そんな存在。
天は二物を与えずどころか、三物、四物与えまくってんじゃん(笑)と思うくらい素敵な人。
本当に女神のような存在だと思っていた。
女神は、昨年11月に事故にあった。
友人同士で出かけていて、運転手の居眠り運転が原因だったそう。
詳しい状況はわからないけど、彼女だけが重傷をおった。
首の骨を2本骨折したのだそうだ。
3か月の入院になったと聞いたときにはなにか病気が見つかったのかと心配したけど、
そんな状況だったとは・・
「災難とは空から降ってくるようなもの」という言葉が
山口恵以子さんの『食堂のおばちゃん』という小説にあったけど、
これは、本当にそうとしか言いようがない。
どんなに気を付けても、普段よい行動を心掛けても、避けられなかったってことだ。
なんてお見舞いを伝えてよいものかなかなか言葉が出てこなかった。
そのころちょうどわたしは、仕事に悩み、適応障害を発症し、毎日を生きるので精一杯。
彼女の苦しみを思い、またさらに涙があふれ、伝えたい気持ちや言葉がウジャウジャと浮かんでくるのに、どれも、安っぽく感じられ、彼女に送るメッセージとしてはふさわしくないように思った。
そもそも、こんなに頑張っている彼女に、わたしなんかが「大変だったね」「辛かったね」「頑張ってね」なんて言えるものか。
普段からよっぽどわたしより頑張っているのに、こんな状況になり、それでも前向きに頑張っています、と伝えてくれてるんだから。
ケータイで文字を打つのも一苦労だと聞いた。
わたしのメールにも返信をしてくれようとして労力を使わせることのほうが申し訳ない・・なんて思ってた。
彼女は、グループのチャットに、
「リハビリで、〇m歩けるようになった」
「ベッドから自力で起き上がれるようになった」
「ハローベストを装着することになった。辛い器具だけど、このハローベストと友達になることにした」
という前向きなコメントをたくさん書いていた。
ハローベストは、頸椎の骨折などの際に、頭蓋骨にピンを刺してハローリングというものを装着する。
専用のベストを着用し、ハローリングとベストを固定することで頭部を固定するというもの。
彼女がチャットにあげた写真を見て、絶句する・・
なんていう、大がかりな装置・・
おでこに穴を開けている・・
痛々しくて、目をそむけたくなる気もする。
でもハローベストを装着していても、彼女のなんと美しいことか・・
女神ここに在り。
そんな風に思ってた。
何しても、どんな時でも、美しい。
心も美しい。まぶしい。
元旦、朝早い時間に、おそらく病院から撮ったのであろう初日の出の写真を送って来てくれた。
空の一番下の部分、地面との境目の少し上が真っ赤に染まってきている瞬間。
本当にきれいで、新しい太陽を見ることができた喜びがわたしにも伝わってくるような、そんな写真だった。
涙が出た。
このタイミングで写真を撮ろうと頑張って窓際まで歩いて行ったんだろうな。
みんなにこうして送ってくれているんだろうな。
歩けるようになった、起きられるようになった、とはいっても、きっとその裏側には、痛みも苦しみもある。
「痛いけど、歩けるようになった」
「〇分もかかったけど、起きられるようになった」というのが本当かもしれない。
でも、あの人は、できるようになった事実しか言わない。
人に伝えるときに、自分の感じている痛みや苦しみを言わない。
すぐに、彼女に連絡した。
美しい写真に感動したこと。
みんなにこうして送ってくれていることに感謝していること。
あなたの心の美しさにいつも癒されていたこと。
あなたの思う姿になれるように、いつも願っていること。
なぜか、今までと違ってすぐに伝えたい言葉がたくさん出てきた。
彼女からの返信には、おどろいた。
「恐れが出てくる時もあるけど、自分の人生がドラマチックになってきたじゃん!って思ったりもする。」
って。女神の底力に本当に感服。
美しい女神の演じる映画のような人生。
主人公には、先に苦難が起こるものなんだね、きっと。
だから、これは彼女にとっては乗り越えられる試練。
最後はハッピーエンドに決まってる。
自分に起こった悲劇をどう感じるか。
ストーリーをおもしろくする一つの要素と思える人には、きっとまた素敵な出来事が起こるはず。
明日は今日より、半歩だけ前に進もう!
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