昨日読んだ本 いつか月夜 寺地はるな著
に出てくるモヤヤンという現象(というか状況)。
主人公ミナリの父の葬儀の後、しばらくしてつきまとうようになった。
人の形や大きな丸い塊をしているときもある。
色はなく、ただそこにいるとモヤがかかったように視界が不明瞭になる・・・
それは、まさしくわたしが以前の記事に書いた
のソレとまったく同じだった。
形容の仕方もほとんどと言っていいくらい同じ。
誓って言うけど、わたしはこの本を今日初めて読んだ。
だから、先に、自分にとっての『ソレ』をブログ記事に書いている。
パクってない。
この本の主人公、ミナリもこの現象にモヤヤンと名付けるまでは『アレ』と呼んでいた。
『アレ』と『ソレ』、、(似てる笑)
まぁ、名付けるなんてことしない限り、代名詞としてそう呼ぶしかないけどね笑
この本の著者、寺地はるなさんにも、きっと同じような感覚を体験したことがあるんだろうと想像した。
寺地はるなさんやわたしは、その現象を言葉にしたけど、
心の中だけで感じて迷って苦しんでる人もきっとたくさんいるんじゃないかな。
主人公ミナリは、夜によくこの現象に陥る。
そんな時、ミナリは歩く、歩く、歩く、、
とにかく歩いて『アレ(モヤヤン)』を払拭する。
わたしも、ウォーキングを心がけてはいるけど、コイツが出てきた時は体が固まってしまうから外に動き出したことはなかった。
ミナリは、この夜のウォーキングがきっかけで、いろんな人と知り合い、
事件が起こり、俄かに身辺があわただしくなった。
そして本の終末では『アレ(モヤヤン)』がしばらく出てきてないことに気づいた。
わかる気がする。
何かに一生懸命になったり、夢中になって忙しくしていると出てこない。わたしもそう。
この現象は、自分が自分でなくなっているとき、心が空っぽになっているときに現れるんだ。
ミナリも言っていた。「もしまた出てきたとしても、どうしたらいいかもうわかっている」
わたしも、今はまた次の仕事に動き始めているので『ソレ』が出てこなくなった。
自分が、こうして生きていくんだって腹をくくったからだろう。
決めるだけだ。
決めて行動するだけ。
小さなベイビーステップでいいって自分に許可をして、ほんの少しだけ動いて前に進む。
明日は今日より、半歩だけ前に進もう!
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