手紙

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今朝は若干の寝坊。

久しぶりに朝をだるいと思って、布団からなかなか出ることができなかった。

だけど、きのうは本当に大仕事をしたという気持ちでいっぱいでした。

きのうの大仕事とは、「友人に手紙をかくこと」

なんやそれ、と思われるかもしれないですが、わたしにとって文章を書くということは、大切なワークの一つ。

そして、それは気持ちを込めることと同義であり、手紙をかくなんていうことは、気持ちを込める媒体の最たるものなのです。

わたしは静岡の友人に手紙をかきました。

彼女とは、最近知り合ったのだけど、こころの持ちようがとても似ていて、わたしは安心して自分の思いを伝えることができます。

先日、藤城清治さんの展示を見に行きましたが、わたしが藤城清治さんを見に行きたいと思ったのはその友人が会話に出したからでした。

とても有名な作家さんだから、絵を見ればほとんどの方が「アッ知ってる」と思うとおもいます。

わたしもそうだったから。

彼女が話題にだすまで恥ずかしながら藤城清治さんのお名前も存じ上げませんでした。

作品を一つずつみていって、影絵の緻密な作業に込められた愛とパワーを感じました。

なぜ彼女が藤城清治さんを好きなのかがわかったような気がしました。

彼女は、とても感情の濃い人で、まわりのみんなの嬉しいや楽しいをたくさん共有してくれます。

自分のこと以上にたくさんの愛あふれる言葉で気持ちを表現してくれます。

わたしは昨年まで、自分の気持ちをこんなふうに文章にあらわしてみんなに見てもらうことが恥ずかしかった。

自分の内面を見られることは、裸を見られるよりも気味の悪いことのように感じることもありました。

それくらい、他人に心を許さなかった。

だから、愛する人からも、こころの内を明かされたことはなかった。

彼女の気持ちの表現は想像を超えるスケールでした。

まるでお祭り騒ぎです。

うんとうんと盛り上げてくれたり、擬音語がたくさんあったり、ほんの小さなことでも体いっぱいで言葉を楽しんでいるのが伝わってくるようです。

彼女は、わたしが楽しい時はいっしょにおどけて楽しんでくれて、うれしいときは手をたたいて一緒に喜んでくれて、悲しい時は、たぶんわたしと同じ量の涙を流してくれている。

そんな風に日常を過ごしている彼女を想像できます。

「今を生きる」とは最近スピリチュアル界隈でよく聞く言葉ではあるけれど、

わたしはコスパ、タイパを優先したり、自分にとってより良い条件を考えたり。

書きながらこんな自分がとっても嫌になってくることが毎日のようにあります。

わたしが生きているのは「今」ではないから。こころは過去のどこかに置いてきて、頭の中は遥か先の未来を生きている。未来でどうたちまわればよいか、そればかり。

彼女のように周りの人の喜びも自分の糧に変えて感情豊に生きていけたら・・・

毎日の生活に彩がよみがえり、わたしをとりまく様々な環境に驚きや感謝で一杯の生活を送れるんじゃないかな。

そんな気持ちを手紙にかきました。

そして、藤城清治さんのキャラクターのキーホルダーを同封しました。

いつもありがとう、という感謝の気持ちを込めて。

彼女が苦しいときはわたしが支えにいくから、という決意も込めて。

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