自分との対話

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神経質な親御さんが多いと感じる。

スタッフに対するクレームや「それはいいがかりなんでない?」と感じる物言いだと思うこともよくある。

だけど、子供さんを愛しているのは間違いない。

だからこその言い方だと思うしかない。

スタッフで言われた内容をシェアして、なんとかみんなで次は、親御さんの思いに添うケアをしようと毎日話し合っても、また次には言われる内容がコロっとかわっていたりする。

もうどうしたらいいんだろう・・・とみんなで思い悩む。

わたしはようやく働き出して1か月経とうとしている。

入ったばかりで、この負の連鎖の輪の中に入ってしまった。

新入りなので、よけいにわからない。

だけど、今日感じたのは、お母さんから子供さんへの愛情。

うちの施設に来てくれるこどもさんは、しゃべることができない、身体を動かすことができない子がほとんど。

お母さんたちが守っていくしかないんだ。

「子供の声を代弁して、わたしが守る」という気持ちを感じて、ここでお互いに(利用者・スタッフ)きちんとコミュニケーションを取ながら意志疎通を図らないと、直接の被害を受けるのは子供さんだもの。

お母さんがどういった思いでこの子を預けてくれているのか。

それを考えることができなければ、こんな仕事は精神的にまいってしまう。

できれば見たくない現実だもの。

わたしも、一緒にこの子たちを愛することができれば。

看護師の仕事に戻ることは抵抗があったけれど、スタッフのみなさんに支えられて頑張ってこられた。

この仕事をする意味、やりがいを見つめ直さないといけない時期がきたのだと思った。

ここで、目の前の現実にただ疲れて愚痴を言ったり自分を責めたりしていたら、なんというか・・・5月病になってしまうんじゃないかと思う。

なんとか走って来たけど、一息ついたときに、アレ?って。こんな事になってるけどわたし大丈夫?って。

自分との対話が必要なんだと思った。

「大丈夫?」→「大丈夫。」

「疲れてない?」→「うん。ちょっと疲れた。ブランクもあるし、今までとあまりに違う仕事内容だから」

「なにに疲れてるの?」→「忘れている部分もあるし、勘を取り戻すのにもうちょっと必要かな。ちょっと失敗したなってことも続いたし」

「もともと好きじゃない看護師の仕事だしね」→「うん。看護師の仕事はきらいだった。だけど今までも嫌いって言い過ぎて頑張らない理由にしていた気がする。ここで、方向転換して、利用者さんと、親後さん、この施設を愛することにこころを傾けてみようと思ってる」

書きながら、あれ?わたしの気持ち、なんか前向きに変わってきている?

と気づいた。

あと一週間、とりあえず、がむしゃらにやってみよう。

今日、知人がチャットに読んでいる本の感想を載せていた。

『相手(家族も仕事場の人も含めて)にとって“本当にほしい”と思うものを生産できてるか?』

なんか、意表をつかれた感じ。

相手を主人公にして、考えてみよう。

わたしはスピリチュアルが好きだけど、最近のスピリチュアルは、自分にとって心地よいものだとか、自分にとっての素晴らしいものを引き寄せるとか、そんな発信が多いきがする。

そればかり考えていると確かに嬉しくて楽しいし、心地よく過ごせる。

だけど、相手のことを心から大切に思い、その人の役に立ちたいと思うその気持ちを忘れすぎていた気もする。

あしたから、また違った働き方をわたしはしていく。

相手を思い、一回り先に役に立つことをさらっとできる人間になりたい。

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