記憶は上書きできる。
どんなに、思い通りに行かなくて、はがゆい思いをした記憶でも、
胸糞悪くてずっとモヤモヤしている記憶でも、
それは可能なんだ。
先日、ずっと会えなかった高校時代からの親友と、ようやく会えた。
今まで、何度も何度も会う約束がリスケになった。
とうとう次の約束を結ばなくなった。
(今日の記事は過去のストーリーがあります。よければ過去の記事2読んでみてくださいね💛)

親友の子供がなぜかいつもその日に熱を出した。
仕事に家事にいつも大忙しの親友にわたしを優先させてもらうわけにはいかなかった。
「しょうがない、またね」って言って、それから何年も経った。
年賀状だけになってしまった年もあった。
わたしの高校時代はいつもこの親友が思い出の中心にいて、他のことはプラスアルファだった。
高校時代の彼とか部活もたくさん思い出があるけど、この親友とは実家が隣通しでいつも一緒だったからすべての思い出にこの子がいた。
それくらい大切な友達だから、なくしたくなくて、
「え~!?また!?」とか、「いっつもじゃん」とか、絶対に言わなかった。
でも、いつも後回しにされるのも辛いし、どうせ会えないなら約束しないでいようって。
諦めることになれちゃって、一人でいることにもなれちゃってた。
でも、このブログでも何度か書いたけど、
今はお互いに違う波動で生きているだけ。
いつかまた、同じ波動になったら自然と会う機会がめぐってくるはず。
そんな風に思ってた。
わたしが進化して、パワフルに頑張る彼女の波動と共鳴したらいつかきっと会える・・
なんて思ってのんびりしていた。
年明けから、急にお互いに連絡を取るようになった。
わたしが適応障害で退職したこともようやく伝えることができた。
親友には心配をかけてしまったけど、それが元で、急遽彼女の出張の合間にランチを一緒にできることになった。
お店に彼女が入ってきた途端、わたしの涙腺は崩壊した。
昼日中の明るい洋食屋で、そんな泣く!?
って周りの人は思ったかも。
でもそんなの関係あるか。
他人に会いに来てるんやない。
わたしたちは、何年も我慢して時間飛び越えてようやく再会できたんだもん。
もう、お互い嬉しくって、一気にしゃべくりまわって、注文したパスタが冷めてクリームソースが固くなってフォークで巻けないくらいなって、ようやくホッと一息ついた。
あぁ、すごい安心感だ。やっとホームに帰ってきた感がすごい。
会えないときは寂しいけど、お互いに相手へ
「元気で頑張ってね、わたしも頑張ってるよ」って言い続けてた。
(親友もいつもわたしに心の中で独りごと言ってたんだって)
たかだか数年、人生の中でみたらほんの一瞬って思うけど、
でもお互いに人生の大切な場面をいくつも経験した数年間だったから、
ようやく会えたこのたった2時間はかけがえのない最高の時間だった。
こんなにね、こんなに会えてうれしいってことはね、
やっぱりわたしたちが会えなかった数年間を経験しているからなんだよね。
この数年間があったから、今こんなに嬉しい気持ちで一緒に過ごせる。
マッチポンプじゃないけどさ。
我慢した苦しい時間がないと、最高は訪れない。
最高を掴むためには、手前で苦しい思いをしないといけない。
苦しい記憶、悲しい記憶もこのためだったって思ったら、一瞬でその記憶も最高の思い出になる。
友情に限らず、恋愛でも他の人間関係でも全部に言えることなんだよね。
悲しく辛いネガティブなことが起こっても、この後に大どんでん返しで最高にハッピーなことが起こるってわかってたら、なんとかやっていける。
ハッピーなことが起これば、過去のネガティブはここに来るまでに必要なことだったって記憶の上書きができる。
だから、信じて、信じて、そこにたどり着くまでの行動を毎日少しずつし続ければいい。
明日は今日より、半歩だけ前に進もう!
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