昨年、上司のモラハラにより適応障害となり自宅療養を経て退職。
現在失業手当をもらいながら、看護師の単発バイトで復帰リハビリ中。
メンタル不調の波を乗りこなすべく戦っている41歳です!
今朝、トイレ掃除をしながら、
「わたし、昔っから新月の願い事とか、アファメーションとか、引き寄せとかめっちゃ頑張ってるけど何も叶ったことないかも」と思い至った。
叶った自分の波動でいろとは、どういうこと?
叶っていないもん。
気持ちを先取りして、叶った自分の体感で過ごせと言われても「叶わない」が連続しすぎて、もう叶わなくてかわいそうな私しか、想像できない・・・
こんなこと、ありませんか。
たぶん、わたしだけじゃないと思う。
引き寄せとか、スピリチュアルとか、自己啓発たくさん学んできて、こんな風に軽やかに願いを叶えて人間的にも女性としてもステップアップしたいってずっと思ってきたけど・・
しかし、まだそれは遠い夢っぽい。
トイレ掃除、毎日しているし一人暮らしだから、そう汚れないんだけど、
それでも床や便器をこすりながら、いろいろ考える。
普段は視座を高く高く、自分を俯瞰してみるように気を付けているけど、
今日はなんだか解像度を高く自分の身体の小さな一部一部について考え出してしまった。
床を拭く自分の手に目が行って、
「まぁ、健康な身体でありがたいことだな。五体満足で、それだけは本当に助かっている」と、ふと思った。
そこから、ぐるぐると考えがめぐり、私の命があること自体が奇跡だなぁと感じた。
今こうして私の心臓が私の意思とは関係なく規則的に動いていることは本当にすごいこと。細胞の一つ一つが連携しあってお互いに調律しあってわたしの命を生かそうとしてくれている。
さかのぼれば41年と少し前、私の両親が関係を持ち、私の命の前駆物質が、母のお腹に宿ったことから始まる。すごい確率だ。
ちょっとだけ違う細胞だったなら、わたしという人間は今この場にいない。
だから、わたしという人間はその時点からつながる奇跡の連続なんだと思った。
おおげさに思われるかもしれないけど、そう思うと、自分が愛しくなる。
生まれてから今まで出会ってきた人、別れてきた人はもちろん、ただすれ違ってきた人、その人たちとのあったような,
なかったような出会いも、すべて奇跡。
だって、一人ひとりに「誕生」という奇跡がすでにあるから。
こう思うと、なんか心が穏やかにふわっと温かくなる。
PMS、今回は本当に気持ちがしんどくて、辛かった。
2月って、春が近づいてきて、メンタルがとてもしんどくなる時期らしい。
だから、自分の思考がこんな風に穏やかでいられることが本当に嬉しい。
誰かを羨んだり、比べて悲しくなったりしていない自分にホッとする。
自分では気づいてないだけで探せば無数に見つかる奇跡。
あの時望んだ未来に今いないなんていう小さなネガティブがアホらしく思えてきた。
ここ数日何かとネガティブなことを書いていたけれども、
ネガティブだろうとポジティブだろうと私の中から考えが生まれてくることですら、すごいことだと思える。
いろんな日がある。
毎日、同じ思考では生きていけない。
でも、どれだけネガティブに引っ張られてもここに戻ってこれると信じて生きていく。
明日は今日より、半歩だけ前に進もう!
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