努力という元手

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「でも、なにごとも理解するにはちょっとした努力という元手が必要です。なんの努力もしないのになんでもできてしまう友だちなんて、心からたたえる気持ちにはならないでしょう?」

ソフィーの世界より

こんにちは。

今日は、いきなり本の引用から始めました。

久しぶりに読んだ本で、こころに残ったワードでした。小学6年のころに読んだ本なので、28年ぶりでした。子供向けの本ということでしたが、当時は難しく、途中でやめてしまいました。

今は、ビシビシとわたしのこころに訴えかけてくるものがあります。

こうしてこなかったから、今に繋がっているんだなぁ、って。努力という元手、払ったことがあったのか。

思い出せるのはほんの数回。

看護師の国家試験を受けるときとか、その後働き出して専門分野の試験を受けるときとか。

こと、日常生活に関しては皆無かも。

惰性で生きていて、自堕落ではないけれど、このくらいでいいや。。。

そんな雰囲気。雰囲気としかいいようがない。毎日流されて「これ!」と決めた生活なんてしていないもの。

でも、最近自分が開けているということなのか、本の一文や、知り合いの言った言葉が心に響きます。

ちょうどこのソフィーの世界を読んでいるときに、知り合いから言われた言葉。(というか教え)※哲学やスピリチュアルの話ではない。

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例えば、自分が「進化したい」「問題を解決したい」とする。

だけど、今の自分では不可能だとする。

何が必要か。

それは「視座をあげる」こと。

※視座・・・物事を認識する時の立場。

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わかりやすくいうと、

今のわたしがレベル8/50だとする。(MAX50という設定)

50あれば、お金、仕事、家族、友人、欲しいものはすべて手に入れられるというイメージ。

目の前の問題は、レベル50に到達しなくても13/50くらいで解決できそうだな。

目指すは8→13。

この差5をうめる必要がある。

これを埋めるのは、知識・スキル・タスク処理。

レベル1つにつき1つの知識獲得orスキル習得orタスク処理を行えばいい。

ちょっと簡単に見えてきたでしょ?

これが視座をあげて物事を俯瞰してみるということ。

たとえば、あなたのレベル1は、○○さんとのコネを作ることかもしれない。

プログラミングで、簡単なHTML・CSSの言語習得かもしれない。

職場の業務改善のため、時短タスクを1つ導入することかもしれない。

問題ばかりを見つめて、対峙しているとき、問題からの圧力に耐えかね、諦めてしまう。

これが、普通の人。

だけど、わたしたちは、このステップを踏んで進化していける。進化する必要がある。

みんな、現実を自分の手で変えられることをしらない。

「普通の人」代表だった、あなたやわたしでも現実を変えられることをしらない。

努力という元手=知識・スキルを手に入れること。タスクを処理すること。

=それは現実を変えること、なんです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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