悲しみ中毒

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きのうたくさん泣きました。

なんでこんなことで躓くんだろうって思います。

でも、HSPってそうなんですよね。

最近よくきくHSP。

間違いなく自分もそうであろうと思っていたけど、

ネットに出ている無料診断やってみると、

めっちゃ強度のHSPやん!

「どうでもいいやんそんなこと」って他人からは思われるようなことでくよくよ悩むし、

これを話したところでどうせ・・・と思ってしまう。

これって悲しみ中毒ですよね。

いつも同じなんですよ。同じパターンの繰り返し。

レメディループ。

前向きでいつも明るく話しかけ、たくさんの笑いに囲まれて過ごすときもありますけど、

なんかやっぱりこっちがホームのような気がしてしまう。

あぁ、やっぱりそうだよね。

こうやって一人膝を抱えて部屋の隅で一点を見つめてぼーっとする方がなんかわたしらしいよね。

新しいことを始めようとすると、やはり困難にぶつかるし、今まではそれを乗り越えられなくて必ず元の場所に戻ってきてしまっていた。

わたしの今回の場合は、ブログを始めようと思ったのに、何を書いていいのかわからない。

これが落ち着いたら、

今度は障害者アートの現場で働こうと思ったけど、低賃金だし、移住してまで頑張る力がわいてこない

これが落ち着いたら、

今度は別れたあともずっと思っていた元カレからの連絡。

(会ってはないけどね)

どうでもいい内容でしょ、人から見ると。

「好きなこと書けばいいやん」

「最初から給料安いの分かっているでしょ」

「自分で決めて別れたんじゃなかったの?」

わたしが書きながら見直してもそう思います。

だけど、「悲しみ」中毒患者であるわたしは、この一つ一つに全身全霊で反応し、すべてのスイッチをoffにしてしまうんです。

でも、今はなぜだかそのことをこうして言葉にして表せた。

あれ、少しいつもと違う。

だっていつもなら、ただ、お酒で紛らわしたり、甘いもの食べたり

(年齢的に暴飲暴食が辛くはなってきたが)

別の行動で上から蓋をして見えないようにしてきた。

でも、今回は書くという行動に進んでいない?

これは、快挙なのか暴挙なのか。

あれ、言葉にすると、なんだか軽く見えてきたよ。

あれ、  あれ?  なんか不思議・・・

ちょっとどうでもよくなってきたかも。

というか、他人事に思えてくる感覚がある。

もしかして、引き寄せとかスピリチュアルでよく聞く、

「感情を見つめる」という作業がこれなのかしら。

今まではこの大仕事が辛くて怖くて考えないようにして自分を守ってきた(つもりだった)

だけど、それって、自分が本当に抱えている気持ちを外に出さないように閉じ込めて、

本当のわたしに出てくるなっていじめていたことなんだね。

40年間もそうしてきたんだ、わたし。

なんてかわいそうだったんだ、本当の内側のわたし。

少しずつ、鍵を開けて、檻の扉を開き、

あなたと分かち合いたい。

これからは一緒に生きていきたい。

外側のわたしと、内側のわたし。

ちゃんとつながって今からは一緒に。

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