一部

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わたしの体のどこを切り取っても、それはわたしであることに他ならない。

当たり前のことなんだけど、この前、妙にこのことを考えさせられる出来事があった。

先日、2回目のバイトに行ってきた。

入浴介助の半日のバイトで、前回と同じ利用者さんだった。

その中の男性の一人で、首下がり症の方がいた。

首下がり症とは、首の骨が前に曲がってしまう病気で高齢の方に多い。

下を向いた位置で固定されてしまうので、正面を向くことができない。

だから、前回も今回もわたしと対面したことはない。

とても紳士的な話し方をされる男性で、

「あなたは先週も来ていた人だね。ありがとう。顔は見えないけど、足の指の形で分かったよ」と言われた。

なんとなく、心に残った言葉だった。

正面を向くことができれば、顔や全体の容姿で相手を認識するんだろうけど、

足の指の形でわたしだと特定されるとは。

(他にも声などで雰囲気は伝わっているんだろうけどね)

足の爪のケアも細かにしているけど、手に比べるとやっぱり回数はその比ではない。

だけど、他のだれかからすると、この足がわたしの顔ともいうべきところなんだ。

わたしの足よ。

立派に役目を果たしてくれてありがとう。

明日は今日より、半歩だけ前に進もう!

コメント

  1. banana より:

    ichikoさんこんばんは
    入浴介助お疲れ様でした!
    確かに身体の一部で自分だと相手に認識される事って、ちょっと心に残る言葉ですよね❣️このお話を読んでハッとしました。
    その人の身体のどこか一部でも私自身も
    『あっ!○○さんだ』
    と顔を見なくても認識する事があったな
    と、
    文字でもそういう事ってありますもんね☺️
    そう思うと自分の全てが役割を立派に果たしていて、全部ひっくるめて愛おしい存在なのだなぁ、なんて思ってしまいました

    • 緑1号室 より:

      bananaさん、こんばんは
      いつもコメントをありがとうございます❣️
      とても嬉しいです。
      励みになっています。
      文字は、本当に代表的な例ですよね。
      誰が書いたかすぐわかりますもんね笑

      昔流行ったB’zのイチブトゼンブって歌じゃないけど、切っても切り離せないってことなんだなぁ
      なんて思ってました

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