仙厓さんの展示があっているというので、近所の美術館に散歩がてら出かける。
博多の聖福時の住職を勤めたド偉い方。
とてもかわいいタッチの禅画を多く残した。
生で間近にみるのは初めてなので、いそいそと期待する。
わたしは福岡県在住なので、福岡県にゆかりのある偉人を知ることはライフワーク。
(休職中で時間が有り余っているので、何でもおもしろ楽しく感じる)
仙厓和尚の作品が展示されている2Fの展示室のドアを開けた。
ワンフロアのみの展示なので、作品数も少ない。
よし、望むところ。じっくり穴が開くほど見てやろう・・
(5分後)・・・ダメ。
じっと見ていられない。
笑ってしまう!!
なんなん、このかわいさ!ゆるキャラって江戸時代からあったと!?
ねこ トラ おやこ 寝てる人 絵描きの友人 etc(題材)
昔の有名な画家の掛け軸のような、
バッキバキにオーラ漂ってます!みたいな
背筋のばしてシャキーンってみるような絵とは、正反対!
かわいすぎです、和尚さん(≧◇≦)!!
愛してやまない、いつも抱いていたい、枕の横に(または下に)おいて寝たい、
そんな、くすっと笑えるユーモアあふれた日常の絵なんだ、仙厓和尚の絵は。
印象に残る絵があった。
『◯△⬜︎』
例えば「住職!住職!あなたの腕を見込んで、絵を描いてください!」
ってお願いして、この絵を、渡されたら、
わたしなら、ひっくり返ってしまうかも(笑)
今でこそ、図形や線画アートとしてインテリアにもなろう。
だけど、江戸時代ですぞ。。。
この絵がどこに飾られていたが知らんが、江戸時代の博多っ子たちも仰天しただろうね。
そして、いまだにこの絵の解釈は不明だそう。
でも、だからこそ、万人が、万通りの解釈がきっとできる。
わたしは、こう感じる。
「〇の時もある。△の時も、▢の時も、同じだけある。
そのすべてがちょっとずつ重なり合っている。
いいことも、悪いことも、ちょっとずつ、重なり合っている。」
わたしの40年間の人生年表で2024年11月はワースト5位以内のトップランカーだ。
(実は、職場の上司からのモラハラにとうとう負けてしまって、適応障害で自宅療養中なんた(;_;)
初めの1週間は泣いて暮した。
なんで、こんなことになったんだろう。
なんでわかってくれないんだろう。
なんでわたしだけこんな態度を取られるんだろう。
まじむかつく!
悔しい・・!
悲しい・・!
わたしの目はもともと二重だが、泣きじゃくり目をこすり続けて3日目、
とうとう四重を体得した。
四重という言葉があるかしらないけど、いい記念にはなったと思う。
瞼をこすり続けて、皮膚が伸びしろいっぱいまで延び、幾重にも折りたたまれた結果だもの。
だけど、40代に突入した肌には危険信号そのものだと思う。
もう、これ以上、泣くのはやめよう。
うれし泣き以外の涙は、体の水分量が減ってしまうので毒だ。(きっと)
仙厓和尚・・
あなた様が福岡におわしましたころより約270年後。
上司からいじめられて精神崩壊した人間が、同じ福岡に住んでいます。
だけどその人間は和尚の絵をみて、笑えました。
現代漫画のようなゆるふわタッチにくすっときました。
こんなふうに、自然を愛で、あるがままを愛し、変に自己流解釈せず、
受け流すように生きていきたい。
〇△▢、これからもおでんを食べるたびに和尚とこの絵を思い出します。
物事は、良い、普通、悪い、どれでもなく、どれも重なっていて、だからすべて一つなんだ。見方を変えたら何とでもとれるんだ、何にでもなれるんだ・・
そう思うことにします。
時代を超えて、受け継がれていく和尚のユーモアと思想。
最上級のリスペクトをあなたに。
(ボキャブラリーのなさが辛い・・)
この期間はわたしの人生の中でもっとも有意義な時間になるかもしれない。
自分を見つめ直して、わたしはどうしたいのか答えを出すのにちょうどいい一か月間。
悲しくて、辛いと思っていたこの療養期間にも、きっと今日のような楽しい時間が重なってくる。
全部一つになるんだ。よいことも、わるいことも。
だから、一つの考え方にとらわれずに、今できることを全力でしていくんだ。
大丈夫。きっと大丈夫。